うろ覚えだった淀川さんのアノお話 ~判断について


淀川さん

みんな大好き淀川さん! 淀川長治 wiki

 

「日曜洋画劇場」と聞いて淀川さんを思い出す方も多いと思います。

私も小さい頃、目をショボショボさせながら見ておりました。

淀川さんが語ってくれた物語はたくさんあるのですが、ずっと心に残っている話がありました。

詳細な部分は残念ながら忘れてしまったのですが、要旨としては、、、

・握手を求める少年、左手を差し出す

・握手を求められた男、「握手は右手でするものだ!」と叱りつけてしまう

・一時置いて気づいた男、「少年には右腕が無かった」

・少年に謝る男・・・

といったお話しです。

 

思い立って検索してみたら、詳細を紹介してくれた方がおられたんですね。

時は止まる君は美しい みどり 様ブログ 第二百三十七夜・淀川 長治様

 

インターネットのこういうところは素晴らしいですね。

詳細を教えてくれたみどり様にも感謝です。

 

判断について考える時、私は2つの話を思い出します。一つは上記の淀川さんの話。

もう一つは、「カラ料理の話」です。恐らくどこかで聞きかじった話を私が勝手に「カラ料理」と名付けているだけなのですが、内容としては「判断の説明のたとえ話」になります。

 

・判断に必要なものは? →判断基準と判断材料だ

両者は”調理器具”と”食材”の関係に例える事が出来る。

 

食材があってこそ調理器具で料理が出来る。

判断材料があってこそ基準に照らして判断が出来る。

 

一点違うところは、

食材が無いと料理はつくれません。物理的に不可能ですが、

判断材料が無くても判断をする事が出来るんですね。

正確に言うと、判断材料(的なもの)をもとに判断してしまう事がある、という事なんです。

これを「カラ料理」と勝手に名付けました。妄想料理、妄想判断となんら変わりはないです。

 

 

なぜこんな事をしてしまうんでしょうか?

判断材料(情報)が正しいと思っていたら、間違いだった。単なる思い込みだった。古い情報だった。偽情報だった。などなど、色々と考えられますね。

 

 

「今日は昨日で出来ている」

といった学者先生がおりました。「昨日までの知識、経験の蓄積で今日、今を見ている」という意味なんだろうなと解釈しました。

実はみんな、これで結構うまくいっているんだと思います。

先ほどの淀川さんの話は、言ってみればイレギュラーな出来事でありつつも、その後の対応が淀川さんの人柄を感じさせるエピソードとなっています。

誰も完璧じゃないから、間違いは起こる。

でもその後の対応が素晴らしいですね。こうありたいものです。

 

 

大事な判断か?否か

一方で非常に気を付けなければならない時もありますよね?

「新しい土地に行く」、「新しい事業を始める」など情報の吟味を迫られている方もいらっしゃるかもしれません。

仮説と検証を繰り返して・・・

正しい情報、正しい判断材料とは??? 情報がありすぎてよく判らん! なんて事もよくあります。

時と場合によっては「エイヤ!で決める」のも決して悪くないと思います。

 

「だろう運転」と「かも知れない運転」ではないですけれど、どちらか一方のみだったり、行き過ぎると窮屈ですね。

状況によりけりでうまく使い分けしたいものです。

 

 

 

 

2011年の震災の後、先ほどの学者先生が仰っていました。

「疲れている時は判断力が低下するものです。

疲れているときは大事な判断はしない事。

疲れていたら休んで下さいね」

 

 

休息をうまく取りつつ、不動心を持ちたいものです。

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