フランシスコ・ザビエルを連れてきた日本人
フランシスコ・ザビエル
「最初のキリスト教宣教師」と学校で習った方も多いのではないでしょうか?
ところで皆さん、ザビエルは言葉も通じなく布教の見通しも立たないのに、なぜはるばるポルトガルからやってきたのだと思います?
実はザビエルには案内人がいたのです。
その名は「ヤジロウ」(書物によってはアンジロウなどで出ている)薩摩出身の人物である。ザビエルとはマラッカで会い日本に連れてきている。なぜマラッカにヤジロウがいたかはともかく、彼は鹿児島へ上陸しときの殿様である島津貴久公にザビエルを合わせ、布教の許可を得てその足で京都へ向かっている。時の天皇に謁見させるためであった。残念ながら謁見は実現しなかったが・・・。(献上品がなかったからといわれているが)
ここで疑問が残る。
このヤジロウ、マラッカにいたり、日本に来れば殿様や天皇に人を引き合わせたりするなど、一体何者なのか?
このとき日本は戦国乱世の時代、しかしこれは日本国内の話。海の上では海賊が横行し、東アジアから東南アジア、果てはインド洋に至るまで、大航海時代ならぬ大海賊時代。この後に来る宣教師たちも、海賊の協力がなければ海を自由には航海できない時代であった。
ヤジロウは、東アジアからインド洋に至るまで海上を制覇し、また様々な沿岸都市を支配していた大海賊の頭目であったといわれている。(もちろん教科書には出ていない。ポルトガル宣教師たちの記録、フロイスの日本史などの文献には度々登場してくる。)
「阿王(アワン)」が別名であったらしい。(これは定かではないが)
朝鮮半島から中国沿岸部、東南アジア地域の沿岸都市を抑えるほどの大勢力であったがゆえに、殿様や天皇にザビエルを会わせよう、また自分が言えば会うはずだと確信もあったことでしょう。ポルトガル語だけでなく他の国の言葉にも通じ、非常に聡明な海賊の王であったヤジロウ。
この時代インドだけでなくヨーロッパにも行っている。
この約380年後、鹿児島の英雄を巻き込んだ明治政府の一大事件「征韓論」
ここに少しヤジロウが関係してくる。
信長をも彷彿させる世界への野望・・・日本の歴史は奥が深い。
ヤジロウと西郷さん。同じ薩摩の出身の英雄がどう結びついていくのか・・・。
またの機会に書きたいと思います。
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