作物が育つのも朝目覚めるのも奇跡なのさ
実りの秋です。
うちの栗や柿は今年も立派に実をつけてくれました。
台風の際には栗の木が何本か倒れるという惨事もありましたが、それでも30kg以上の実が収穫出来ています。倒れた木は細かく刻んで、キャンプ好きのお仲間に使ってもらうことにしています。無駄なものは何一つないですね。
今から約60年前、雑草の生い茂る丘を祖父母が開墾し、井戸を掘り水を引いて、一粒一粒手で種を蒔き、少しずつ作物が育つ環境にしていったのが今の圃場です。その後父親の代になり、肥やしをたっぷりと入れ、何度も何度もかき混ぜながら、土を育ててくれました。当時は作物の収穫もままならず、栗も食べたい、柿も食べたい、銀杏も食べたい、李も食べたいと願って植えたのが、今収穫出来ているものなんです。
そんな話を聞かされたら、無駄にできないでしょ?(笑)
みなさんの素敵な笑顔に感謝
先日うちの農作物を食べてもらおうと、会社の仲間に送りました。
そしたらみんながとても喜んでくれたそうで。まだ食べてないのに(笑)*みなさん、柿、渋かったらごめんなさい・・・
社長が送ってくれたその場面の写真を見て、僕の方がすごく嬉しかった。すごくすごく嬉しかったんです。なんか、うちの祖父母や父親を褒めてもらっている気がして。一所懸命ここまでやってきてくれてありがとうと素直に思いましたね。そしてこれから何としてもこの土地で農業を続けていかないとって。
昨今人気のオーストリア出身の心理学者アルフレッド・アドラーの言葉
「自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く、相手に与えること。それが幸福になる唯一の道である。」
まさにこれかなと思います。
相手への想いが届いた時、人って本当に嬉しいもんなんだって思う。仕事でも、友人関係でも、家族の間でもそうだと思うんです。何かをしてもらうことも嬉しいけど、何かをしてあげて相手が喜んでくれることがもっと嬉しいんじゃないかな?
どうやったら誰かの役に立つのか?自分たちはその誰かのために何ができるのか?そこをいつも心に留めておきたいものです。
作物が育つことはミラクルなんだ
最近は思うんですよ。
毎年毎年ちゃんと実が生るけど、それは全然当たり前のことじゃなくて、いつ作物が育たなくなってもおかしくないし、実が生らなくなっても不思議じゃないと。種を蒔いたり、苗を植えれば農作物が収穫できる。これって実はすごく神秘的でありがたいことだと。
ヒトの体も有限で、今朝目覚めたことも実は奇跡だったりする。家族や友人、仕事の仲間が今日も存在することも奇跡。だから当たり前のことを当たり前と思わず、起こること全てを、つながる縁すべてを大切にしていきたい、そう思いながらこのブログを書いています。畑に向かいカラスに睨みをきかせながら(笑)
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