意識を何処に向けるか
冬空らしく澄んでいますね
最近とても感じることで「意識」の使い方というのがある。
例えば、幸福感というのは自分と他の人で同じかどうか?違うかもどうか
分からないですよね。
たまたま先日スタッフにコーヒーを入れた。
「えーーーありがとうございます!ホント嬉しい!」というアクションもあれば
「あ、はーーい」とか
「ありがとうございます」とか、まさしく人ぞれぞれのアクションだけど、
ホントはどれだけ喜んでくれているか分からないのはもちろんのこと
コーヒーを入れてもらって幸せだな~って思う人もいれば
何にも感じない人もいるってこと。それはよい、悪いではなくて事実。
それだけ人の価値観は違うということ。
僕は、最初に言葉ありという言葉が好きで、最初に「ありがとう」と
いうことで感謝の念もあとからついてくると思っています。
そこからすると、最初に「ありがとう」って言うことでありがとうって
いう状況を自分で創ってしまうことができるのではないかと考えてるわけです。
僕は本をよく読む。よく読むというよりも乱読家に近く今も5冊くらいを交互に
読んだりしています。その中の一冊の文章でたまたまめぐり合った言葉があった。
「意識はあなたそのもの」
そしてどう意識を使うか?意識から出る言葉をどう使うかが大事ということ。
意識は見えないもの。言葉も見えないもの。しかし多大な影響を及ぼすもので
あることは間違いないですね。
祈りという言葉があるけど、これも「意のり」つまり意識をのせるということから
出ているそうだ。
神社仏閣に行き祈るという行為も実は自分の意識に「謝意」を載せる、つまり
感謝の念を送るとう行為だそうだ。
最近の神社だと祈るということは、「成就」する、させたいという方向に向いている
ところが多いが、本来は「感謝の念」を伝える、つまり「いのる」ということを
伝える場であったんですね。
意識はなくならないと思う。例えば肉体が滅んでも、意識は残っているかもしれない。
その意識こそ自分自身であり、しかもそれは目に見えず大きさも定かではない。
もしかしたら意識は全てとつながっているのはないか?
そう考えれば、よい意識をもつ、それは自分の発する言葉を気をつけてよい言葉を
使うことでいかようにも意識を持っていくことができるのではないかとも思う。
人が認識して見えている世界というのは、実はこの世の10%位しか見えていないという。
それは意識すれば見える世界で、ほとんど意識していないと見えていないことが実は
ほとんどということ。そして目に見える世界、と見えない世界とどちらも
見えたり、見えなかったりしているのが意識の世界ではないかと思う。
例えば、不安ということがある。不安は今の時点では起きていない。未来へ意識する
ことでまだ、来ていないことに対して不安を覚えている。
それは現在ではなく未来のしかも起きていないことに不安を感じることも、誰しも経験
があるでしょう。どう考えても来る未来であれば対策をしていくしかないが、
それ以外は「今」というところに意識をしっかりもっていくこともいいかと思う。
そして、意識を何処にもっていくか?
それ次第で幸せにもなれば、不安にもなり不幸にもなるというのが実際ではないか。
そして意識を研ぎ澄ませるには、自分では「今」を意識することと、
人では、「感情や理性」から言葉を発しているか「魂」から言葉を発しているか?
まずそれを意識することで、人はどんなところに意識をもっているか?
だんだん見えてくるのではないか?と思います。
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