その課題は誰の課題?


著書「嫌われる勇気」でアドラー心理学を多くの人に認知させた、岸見一郎氏。
1989年からアドラー心理学を研究されており、日本でアドラー心理学と言えばこの方以上はいないだろうと思う。
大学でも講義をされている岸見氏が書いたコラムに、興味深い一節がありました。

 

 

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哲人と青年の対話形式が読みやすく面白い一冊

 

〜氏のコラムの一部より〜

学生の頃、「君たちは真面目に講義に出てきているが、一体、いつ勉強しているのだ」と教授の一人がいったことを思い出す。
私は教師としては当然講義に出席し、講義をしっかりと聴いてほしいが、試験の解答に私が話したことがそのままなぞってあるとがっかりする。
いつか講義をしていたら、「〔板書の〕どこを写したらいいのですか」という学生がいて心底驚いた。「そんなことは自分で判断して、必要があると思ったことは筆記すればいい」と私は答えなければならなかった。
自分では何も考えずに筆記するようではだめなのである。自分で何も考えず、自分では何も判断できないから、誰かの指示を待つようになる。そんなことをしていれば、いずれ自分の首を絞めることになる。

 

こういった学生さんが会社に就職するとどうなるのだろうと考えた。
自分の仕事を自分の事と捉えられず、自分で考えることなく指示を待つ。確固たる自分の意見を持たずイエスマン化していく。そんな将来を想像してしまう。
これは何も今の学生さん云々ではなく、長年社会で働いていても同じような仕事をしている人も多くいるだろう。かく言う自分も、うっかりすると会社の課題を自分の課題と捉えず、その業務を担当する人に委ねてしまうこともある。

何でもかんでも自分の業務、自分の仕事としてこなすことは時間的にも難しい。ただ、会社で起こっていることは全て自分に関わっているという認識でいることが大事なんだと思う。僕たちのような少人数の会社では特に必要だな。

 

アドラー心理学に『課題の分離』がある。
自分の課題と他者の課題を分離して考え、他者の課題に踏み込まないようにするというものだが、だからといって他の人の仕事は知らんぷりということではない。「その課題を解決しないと困るのは誰なのか?」ということを考えるのが大事。
親子関係などであれば課題の分離は容易で、例えば、宿題をしない子どもを叱る親という場面で見れば、宿題をしないと最終的に困るのは子ども自身。親自身が学校から何か言われたり、子どもがいい学校に入らないと親としての責任が・・・などと考えるのは親の都合であり、そこを分離して考えて子どもに話をする必要があるということです。

 
仕事に置き換えてみた場合、自分の担当する仕事における課題を解決しないと困るのは?自分以外の他者の仕事の課題を解決しないと困るのは?誰でしょう?
自分の仕事であっても、他者の仕事であっても、仕事における課題は全て会社の課題。つまり自分の課題だと思うのです。まあ全て自分の課題と捉えて、その仕事を担当する人の考えや意見にまで侵食するのはいかがかと思いますがね。そこは尊重しないといけないけど…
同じ会社で働くというのは、仲間と一緒に同じ道を走っているわけですからね。幅の広〜い道をそれぞれが別車線を走っているだけで、道は同じです。そしてみんなでゴールしなければゴールとは認められない。僕は会社ってそういうものだと思う。

 

仕事仲間の課題は全員の課題。課題はステップアップのためのチャンスアイテムです。
課題の分離と統合をうまく使い分けながら傍観者にならない仕事をしていこう、岸見氏のコラムを読んでそんなことを考えた週末でした。

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