常識という霧にとらわれない。織田信長が現代にいたら


nobunaga

戦国武将 織田信長稀代の風雲児です

三が日も明けましたね。今日がシゴトはじめという方もいるでしょう。

僕は明日が仕事始めになりますけど毎年と違ってせわしなさというのが

あまりない年末年始という感じでした。

ゆっくりした時間でコーヒー飲んだり読書をしたり、家族と出かけたり

仲間とあったり、、いい時間ですね。

年末年始に限らず、今の大きな社会変化の中でですね。歴史を見れば

やはり激動期の中で活躍した方々が沢山いるわけですが

その中でも織田信長がやはり凄いなっと感じる戦国武将です。

そして僕自身が織田信長のマンガを読んでとても勇気付けられた。

うつけと呼ばれた少年時代、そして母親の薄い愛情、しかし父は

遠くから見守ってくれていた。

世間の常識など頭から受けつけない彼は、その波乱万丈の人生をみても

とにかく独自の視点が多くここが注目もされるところだが、反面石橋を叩いて

渡るような慎重さもあった。唯の猛将なら戦国自体には結構いますがやはり信長は

その中とも違い異色の武将だったと思います。

戦国時代に最も天下に近い位置にまで行った訳ですがその要因の一番は

岐阜を取った際に創った刻印

「天下布武」

という志が一番ではなかったのがと思いました。

天下といっても非常に漠然としていたときに、明確にしたというのが

その後の活躍に見られるのではないかと思うのですね。実際に彼は常に

天下を意識している行動を取っている。

これが他の武将との決定的な違いではなかったと思う。

そしてこの旗印があれば、そこから戦はどうするか?外交はどうするか?そのような

部分から内政に至るまで具体的な施策が出てくる。

信長でいえば鉄砲という武器を重宝したことでも知られていますが、鉄砲はとても

値段が高く一気に沢山買える武将はさほどいない。

彼はまず、経済力をつけるという政策を行い、経済力を背景に鉄砲などの武具、それから

兵農分離などの対策をとっていき、それが結果的に有効になっていく。

局地戦のような戦いが必ずしも強かったといえばそうではなく、全体からとらえた戦略という

ことがとても優れていたといえますね。

最初で最後の冒険的とも言える戦いの桶狭間の戦いは志事でいってもとても参考になる戦いで

信長は敵方大将の首をとることのみに集中した戦いをしており、そこには考えれるだけの

ことを徹底的に行い、見事勝利を修めている。

当時の戦いの中で、相手の首をとったら持ち歩きながら戦いに臨んでいたが

首を持ちながら戦いをすると実際にはとても戦いづらい。まず今回の戦いでは

それは一切禁止。それに対しての褒章もない。

唯一つ敵方の首をとったもの、敵情報を知らせたもの、そして勝てば全員に褒章を

与えるとして指揮を高めた。

また、実際の武具でも、足軽には軽い武具を用意する、そして非常食を少し持たせるなど

まさしく全体で戦に勝つための方法を考えたうえでの戦いをしていった。

後年、この戦についても、あれは考えた末のばくちだ。二度としない。と語ったと

言われています。

今の時代に戦国の風雲児の信長がいたら、どう行動するか?考えてみると

きっと目が覚めるような手を打ってくるだろうと思います。

今はとても良い時代で信長のような歴史上の人物からも学びやすい状況も整っている。

このブログでも何度も登場している信長。

発送の天才、そして時代を創っていった信長に学びながら明日の仕事始めに取組みたいと

思います。

 

 

 

 

 

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