信長の発想と行動力

公開日: : 最終更新日:2019/05/20 偉人伝 ものの見方

nobunaga

信長の発想と行動力は学ぶべき点が多い

日本には偉人が沢山います。

戦国乱世の時代では生き残りをかけ

名将と言われる方々が多く出ました。

その中でも信長は他の武将と少し違うと私は考えています。

これは、他の武将達がその時代の中で活躍していたのに対し

信長は時代というグリットごと変えてしまう

中世から近世に変えた偉人といえるでしょう。

小さな領土から始まり瞬く間に

天下統一の一歩まで創りあげた信長の発想と行動力は

やはり一味も二味も違います。

信長の名前が世に出た桶狭間の戦い

有名な今川義元の実に10倍の兵力を相手に

見事に勝った戦いです。

もちろん、ただ偶然に勝った訳ではなく

非常に緻密に考え抜き

そして実行したところに凄さがある。

信長は小さい頃より

戦いごっこというものを行っており

小さな兵力で相手に勝つには

どのようにすれば良いか?

これを体得していたのでしょう。

敵将の首を挙げれば戦では勝利ですが、

まだその大軍勢は生きている。

また再び同じように攻め込まれては

今度こそ勝てるとは限らない。

そこで、勝利してから直ぐに

相手方であり重要な拠点を持つ

家康と同盟を進めます。

これがなければ

まだまだ予断は許さない状況に変わりは

ありませんでしたが

成し遂げることが出来ました。

こうして、背後である今川軍との間に

家康という楔が打ち込まれたからこそ

信長は全面の難敵である

齋藤氏との戦いに集中できるようになり

苦戦の末に勝った。

この時点で信長は100万石を越え

戦国大大名の仲間入りをします。

その後は将軍や京都を抑えながら

最先端の武器であった鉄砲を

多く活用するなどして

その領土を広げて天下統一に

近づいていきます。

信長の戦略

ここまでの戦いで

注目すべきはやはり

桶狭間戦いと

その後の処し方です。

これは小さいものが

大きいものと戦うときの見本の

ような戦い方です。

つまり、一点を突破する。

というものです。

戦国の戦いでは敵将の首を挙げることは

戦でかつ象徴的なことです。

まずここに集中させるために

様々な情報を求めます。

更に情報を求めるだけでなく

信長がどのような情報を求めているか

ということを相手にわからせないように

工夫する為に、味方にもそのことを

教えませんでした。

情報漏えいを防ぐ為です。

信長が求めた情報とは

これは今川義元本陣の場所と陣容です。

実際にこの情報を手に入れた

梁田政綱が勝利の後に第一功労者として

恩賞を手に入れていることを

みてもまず間違いないことでしょう。

信長は戦い後の姿も見据えていた。

これは先に説明したとうり

敵将を討ち取ったとしても

大軍勢の今川が再び立ち上がって来られると

いうことは是が非でも防がないとならない。

そこで家康との同盟があるわけです。

桶狭間の戦いの時には

信長は幾つかの砦や武将を家康によって

討ち取られたり奪われている。

家臣たちの中では

当然うらみを持つものや賛成しないもの

もいましたが、

信長は家康との同盟に踏み切ります。

しかも、同盟に際には

奪った城については

信長は不問にしたとうことですから

ここが如何に大切かということを

認識していたのでしょう。

このときの家康には

二つの選択がありました。

一つは敵方であった信長との同盟を受け入れる。

もう一つは主家であった

今川の家臣として生きる道。

用心深い家康ですから相当悩んだと思います。

しかし、家康は信長との同盟を選んだ。

その理由には

戦い方や治世についてつぶさに見た上で

判断したといわれています。

戦い方も斬新であり、治世においても

経済力もつきつつある信長。

その信長に対し今川家では

討ち取られた今川義元は一流の武将としても

知られていましたが

その後継者が凡庸であり

尚、家康が家臣としていても

以前からいる家臣たちが多く

力を発揮できることもないだろう。

更に、少年時代に味わった人質としての

生活のつらさもあったでしょう。

このような理由で

家康は信長にかけていくわけです。

この同盟は信長が倒れるまで破られることも

なく裏切りが当たり前にあった

戦国時代でも稀な例としても知られています。

時代というグリットを変えた信長は

今でいえば

地方の小さい企業が全国でトップクラスの企業になった

というイメージが近いでしょうか?

しかし、その功績は前半戦でつかんだ

今川義元との勝利(大きな勢力との戦い)

そしてその後の処し方(家康との同盟)

さらには齋藤氏との戦いと勝利。

ここまでわずか六年程度です。

つまり、先の先を描いていたということが

伺えます。信長が何処まで先を描いていたか

ということは分かりませんが

桶狭間の時には既描いていたのだろうと

推察します。

そしてそのために今なにをすべきか?

人材、経済、兵力など様々なところまで

目配せしていたことからも

その志が伝わってきます。

翻って

今、信長に学ぶことはとても多いのではないか?

政治経済も多く変動している時代だからこそ

弱小時代の処し方から大勢力をもっての戦い方

は見本的なものでしょう。

私も信長が生きた年数になり

戦国時代でここまで出来たのかと

考えさせられることも多いですが

信長に学んでいこうと思います。

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」をとったものの、家族や仲間、そして本の力で何とか社会人まで登り詰める。住宅メーカー(東証一部上場企業)出身で工務店支援事業を皮切りに、電子書籍事業などメディア事業も手掛けている。
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