偉人の先見性⑦ 豊臣秀吉の仕事ぶり
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最終更新日:2017/08/04
偉人伝 ものの見方
農家の出から天下人となった豊臣秀吉 先見性も仕事ぶりも抜群だった
豊臣秀吉(1537-1598)
はじめは尾張の百姓だったが、15歳のときから針売りなどして諸国を放浪し、後に信長に仕えたと
言われているが、実際の出自は商人であったとか、山の民(サンカ)であったのではないかなど真相は
不明だが信長の評判を聞き(実力があれば仕官され出世もできるかもしれないという話)小者として使えるように
なる。そこからは、「骨が擦り切れるほど働いた」という本人の後日談もあるように、もらった仕事の中で
精一杯工夫をし、徐々に出世していくことになる。
冬の寒い中、主君である信長の草履を懐に温めておいた逸話は有名であるが、最も、最初信長は
草履の暖かさを感じて秀吉がお尻の下に草履を敷いていたと勘違いし、厳しく叱ったといわれているが
誤解が解けるととても寒心し、喜んだという。
豊臣秀吉の先見性はまず主君信長を選ぶところから
この時代はまだ封建的な要素も残っており、たとえ力があっても出世する見込みなど
ほとんどなかったが、織田信長という武将はそのような門閥や出自にとらわれないという話は
既に近隣の人々には知れ渡っていたのだろう。しかしこだわらない信長は罰も厳しい。
秀吉は自身の立身出世を信長にかけたともいえる。
仕事を認めてもらえるというのは、秀吉にとってはとてもやりがいのある主君信長であった。
最初に信長に認められた大きなシゴトは「薪」のコストダウンだった。
信長が薪奉行に、
「どうも薪の金額が大きいがどうなっている?」
と問いただしたところ
薪奉行は
「今までどうり行っているだけです、特にこれといったことはしていません」
というと、合理主義者である信長の逆鱗にふれ、即刻薪奉行は更迭された。
後任に誰にしようか、考えていたときに手をあげたのは秀吉である。
秀吉は信長に
「殿、ご覧あれ私が適正にして見せます」と手を挙げて信長は秀吉に託した。
秀吉はまず現場へ入り次のことを考えた。
1.燃料が城へ入ってくるルートがどうなっているか(無駄がないか)
2.購入量が適切なのか
これに焦点を当てて調べていくことにした。
まず、薪のルートだが、実は様々なルート(仲介が多い)があることが分かった。
そして1本1本に利ざやがあることが分かった。
これを放置していた前任者に秀吉は腹を立てたが、
次には、量が適正がどうか調べた。
そこで、薪に無駄がないか?徹底的に調べた。
かまどから、暖房用、お風呂など何処でどれくらい使われているか調べ上げたのだ。
このことから、秀吉は薪の購入量も使われ方も工夫の余地もあり
しかも前任者が全くシゴトしていないことに唖然としたという。
仕入れルートではいわゆる賄賂も横行しており、これを追及することも出来るが、
目的はそこではなく、薪の適正化が大事なことだ。
しかも仕入れルートをいたづらにさわると、罪人もでて大きな騒ぎになるとも限らない。
秀吉は考えた。
仕入れルートでは、まず一つ一つのルートを変えるのは大変な問題もありそうだ。
いっそのこと、仲介業者を省いた形で進めてみよう。
そんな考えに至った。
そして村々を歩いてみると、けっこう枯れ木があることに気づき、村長に
「あの枯れ木もらえるか?」と提案し、さらに
「その分税金を安くする、それか、木の苗10本と交換するか?」
このようにどちらか選ぶ方法を提案していった。
このように村々へときに廻った。
秀吉が行ったことは
1.薪の産直を行った(中間業者を省く)
2. 薪をただで提供させたこと
3.見返りで減税か苗木を渡したこと
これによって
1.薪代はただになり
2.減税で多少収入は落ちる
3.苗木が支出になる
しかし、これを行うことで薪代は今までの10分の1にまで下がった。
さらに苗木が増えて、村々の環境整備にも役立った。
この成果を聞いた信長は
「さすがサルはやるわ」と喜んだという。
このような仕事ぶりは秀吉は得意であり段々と他の武将よりも行政の手腕も
買われて出世していく。
また、こんなエピソードもある。
信長の居城であった清洲城であったがある年に大きな台風に見舞われた。
修理奉行が100人の人夫を使ってやっているが中々終わらずに、
ただ怒鳴り散らしている。
これを見た信長は修理奉行を更迭し、また秀吉に修理奉行で直すように命じた。
秀吉はまず、壊れた箇所を年位置に調べて全体を10箇所の区分に分けた。
そして人夫にいった。
「これから10組に分かれろ!誰と誰が組むかは自分達で決めろ。俺にはみんなが
だれが好きだ、嫌いだということは分からない。嫌いなやつと一緒にやっても面白くないだろう。
気も使うしな。さ、早くきめて責任者をきめろ」
その上で
「一番先に終わった組には殿が格別な褒美を出してくれるそうだ」
そういって、競わせて城の修理を瞬く間に終わらせた。
人の心に通じていた秀吉の仕事ぶりは行政から戦争、そして外交から国造りにいたるまで
この後も発揮されて最後には天下人になる。
実は主君である信長も合理主義者で知られているか、豊臣秀吉もこれまた凄い合理主義者で
あり、何事も現地をしっかり確認したうえで問題点は何処か、何をどう解決することが
大事なのか?このような考えができた秀吉だからこそ信長との相性も良かったといえるだろう。
そして後年、人たらしといわれるまでになるが、下積みが長く、出世していく裏には同僚や周りの
やっかみや意地悪などもあったことだろうが、これらもさらりと乗り越えてしまうくらいの
秀吉の陽気さ、そして人への配慮が抜群だったことも後年天下を修めるに至っても
役立ったことだろう。秀吉の仕事ぶりは後年「俺は骨が擦り切れるほど働いた」という
言葉に集約されるほど、一生懸命考え、実行した証左であろうと思う。
石川博信
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