醤油を海外へ キッコーマンの産業魂
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最終更新日:2025/09/02
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今や醤油は、世界中で使われている。
しかし、キッコーマンが海外進出したときは、
知られおらず、販売には、苦労の連続であった。
なじみのない醤油を売るために、工夫もした。
焼肉にしょうゆをつけて焼いて、スーパーマーケットでデモをする。
バターに醤油を組み合わせる。
とくに、香りに惹かれる方が多く、少しずつファンを増やしていった。
この行動が、今につながてちる。
特に、アメリカではまだ反日感情があったり、
今まで食べたことない調味料に拒否反応があったり
苦労は想像に難くない。
それを乗り越えて、世界中で広がっている。
そもそも、
海外進出自体は、
やはり日本市場での限界と
海外市場での成長を見込んでの挑戦でした。
今でこそ、日本の食材は非常に評価されていますが、
それは、このような開拓者たちがいてからのこと。
もちろん、品質が良いことも前提としてある。
キッコーマンが初めて工場を建てたのは1973年。
今やしょうゆは、世界約100カ国で展開、
同社の海外売上比率は5割を超えている。
特に、2代目社長は、中興の祖といわれていますが、
苦難の連続がつづきます。
1927年の金融恐慌と、旧・野田醤油の大争議(218日)。
この二つの出来事は、「良い製品の前に、良い秩序が要る」
という当たり前を思い出させる。ボヤが起きても従業員が消火に協力しない
――そんな逸話が残るほど、当時の現場は疲弊していた。
ここで末席に座り、
しかし静かに実務を回し続けたのが、のちの二代茂木啓三郎(当時は飯田勝治)だ。
醤油は発酵の芸術であると同時に工程産業。初代啓三郎の系譜にある機械導入の前倒し
(ボイラー、圧搾機など)は、二代の時代にも一層の合理性を得る。
品質の“許容窓”(温度・圧力・時間)を決めて、ばらつきを潰す投資だ。
ここで重要なのは、投資の順番。見栄えの良い最終工程ではなく、
歩留まりに直結する“地味なボトルネック”から潰す。
結果、安定供給=ブランドの約束が守れる。
二代は商標・品質・表示を一本化し、説明責任を揃えた。
ここに初代の遺伝子――技術公開と販路協力――が効く。
秘密主義に寄らず、産業全体の底上げに寄与しながら、自社標準を“共通語”にしていくやり方だ。
これを“開放で勝つ”ブランド戦略と呼んでいる。プロダクトの話で終わらせず、
“どう使うか”まで提案して需要を作るのがポイント。
社是「産業魂」制定(国家の隆昌・国民の幸福/互助・相愛)
これは、
- 公共性の訳し方:「国家の隆昌/国民の幸福」を、意思決定の優先順位(①安全 ②品質 ③価格)に落とす。
- 互助・相愛の運用:情誼ではなく制度。標準作業・教育・表彰で“助け合い”を仕組みにする。
- 理念→KPI→手順→教育→評価:この鎖を週次で回す。理念は、回るときにだけ理念になる。
もともと家族企業だった、キッコーマンを社会性をさらに
もつ企業としていくにあたり、
- アフターレビューの1枚化:時系列/判断/影響/教訓/再発防止(誰が・いつ)を定型フォームに。
- 標準化スプリント:重要5工程を選び、チェックリスト+写真基準を2週間で試運用→翌週反省。
- ボトルネック投資:歩留まり・リードタイム・クレームの三点で“痛点マップ”を作り、先に詰める。
- ブランド整流:表示・容器・価格・販促文言を棚卸し、例外を“儀式的に”減らす(月1回の整流会)。
- 家業×企業の接続:歴史を語り継ぐ場(年1回の式)と、日常の意思決定(毎週の数値会)を分ける。
このようなことを実践していきます。
家族企業から世界企業への進化。
そこにいたるには、様々な苦労もあったでしょう。
企業の様々な課題の解決の糸口が見える気がしますね。

石川博信

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