偉人の先見性 黒田如水 

公開日: : 最終更新日:2017/08/13 偉人伝 ものの見方

yoshitaka_kuroda 天才軍師といわれた黒田如水(黒田官兵衛) 最後は息子長政に藩主の心得を伝え福岡繁栄の基礎をつくった。

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豊臣秀吉の軍師として知られており生涯負け戦がなかったといわれる伝説的な軍師であったが、天才的な頭脳で次々に戦や仕事を

こなすことに秀吉も後年恐れを感じ始めて距離を置きはじめ、豊臣政権の成功者で合ったにも係わらず地位や恩賞では冷遇の目にあう。

後の関が原の戦いでは、息子は東軍で徳川家康側につくも、自分は九州の地で独自の活動を進め一時はあっという間に薩摩を除くほとんどを

制圧した。この後この動きについて天下をねらった動きであったということが分かるがそれは後のことであった。

逸話は多いが、今回は先を見通すということについてまとめていこうと思う。

戦国時代に活躍した黒田官兵衛であったが、持ち前の頭脳と優れた直観力で次々に戦いにあっても勝っていく。

そのため大変決断が早い武将だったといわれる、息子長政はどちらかというと慎重で決断まで時間がかかるタイプであり

直観よりも物事の裏をみていくことで時間をかけじっくりと決断をしていた。

後に、この決断という部分を父から教わることになるが、父である黒田官兵衛はこの部分がしっかりしていれば

息子長政は後継者として間違いないだとうと思っていた思われる。

先見性があり逆に主君から警戒された

黒田官兵衛は豊臣秀吉の軍師として活躍していたが、毛利軍と戦っている際に明智光秀が主君織田信長を

本能寺で殺したということを聞いた。秀吉も混乱したことだと思うが、そばにいた黒田官兵衛は

「天下取りのチャンスがやってきましたな」

とささやき、まだ混乱をしている秀吉はこの男は・・・と警戒を強めながらもその意にのり結果

天下取りに乗り出すことになる。

後に盟友とも言われる小早川隆景は黒田官兵衛に忠告をした。

「あなたは頭の良さと決断の速さをでは右にでる武将はいないであろう。しかしもう少し

馬鹿のふりをしないと身を滅ぼしますぞ」

黒田官兵衛はこの忠告を聞いて、そのとうりかもしれないと思い、

「異見会」というものを開いた。

これは、家臣たちに上下関係関係なしで自由に意見を求める場で部屋の神棚へ向かい

今日の会議のトップは主君ではなく神だ、とし自由闊達な意見を求める場をつくり

これは明治維新がおきるまでつづき黒田家の名物になった。

江戸幕府時代に黒田騒動ということで御家騒動もあったが、この期間には

この異見会をしていなかったという。それだけ有意義な会議だったと思われる。

66bb77ba黒田長政 偉大な父にあって二代目として成功した数少ない例といえる

更に時代は豊臣秀吉がなくなり、いわゆる関が原の戦いが起きると息子長政には

「お前は徳川家康に味方しろ、俺は九州で様子を見る」とした。

この裏には、これほどの規模の戦いであれば短くても一ヶ月はかかると見込んでいた。

九州から一大勢力をつくり、東軍西軍と戦ったのちに、勝ったほうと最後の決戦を

挑み天下を狙おうというのである。黒田官兵衛の最後の戦いであった。

主力は息子長政に任せて、自分は地元の百姓や九州西日本を中心にお触れを出し即席軍を

造った。その数約9000人。これで九州各地を転戦し最後薩摩以外はほぼ同盟者以外は

あっという間に制圧し薩摩とのにらみ合いの際には3万を越える大軍勢になっていたが

関が原の戦いが1日で終わったために野望は打ち砕かれて、軍を解散することになった。

後に、九州に戻ってきた長政は意気揚々であった。戦功によって大幅加増されて52万石の

大名になったからである。戦勝の話をしている長政だが黒田官兵衛は浮かばれない表情で

それだけではなくとても不機嫌であったといわれる。

「父上、徳川殿から一番手柄と手を握って喜ばれました」

「家康はどちらの手をとったのだ?」

「右手です」

「そのときお前の左手は何をやっていたのだ!」

「え!?・・・」

このとき長政は初めて父である黒田官兵衛が天下を狙い、そのために行動していたということが

分かった。左手があまっていればその手で家康を殺せばよかったものを・・。

こんな父で恐ろしくなったという。

黒田官兵衛はとっくに隠居していたが、家臣たちはやはり黒田官兵衛に色々と相談してくる。

これはもちろん長年の蓄積もあるが、このままでは自分がいなくなってからは

家臣たちに迷いが出来たり分裂していくかもしれない。

そう思った黒田官兵衛は、長政の決断を良く見るようにした。すると決断にとにかく時間がかかる、

ということが分かってきた。

そのため、考えを変えないとならないと思い、ある日長政を呼んだ。

片方は下駄、片方が草履である。

そうると長政は考え込んでやはり中々決断が出来ない。

実はこれには裏も何もなかった。

「良いか、お前は考えすぎだ。俺がいるときはそれでも良かった、しかしいつまでもいるわけでもない

早い決断を家臣たちは求めているのだ。そして時には、このように形が整ってなくても

素早く行動することも大事だ、草履も下駄も履けないことはあるまい、素早くしていくということは

それだけタイミングも大事なのだ。あれこれ考えていては機を失う」

 

 

 

 

 

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」をとったものの、家族や仲間、そして本の力で何とか社会人まで登り詰める。住宅メーカー(東証一部上場企業)出身で工務店支援事業を皮切りに、電子書籍事業などメディア事業も手掛けている。
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