住友中興の祖 広瀬宰平

公開日: : 最終更新日:2018/05/23 偉人伝 ものの見方

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住友財閥 中興の祖

住友財閥の基盤を作り上げ、後の日本経済発展に多大な影響を与えた

広瀬宰平。幕末から明治の初頭の混乱期に住友を支えた中興の祖であり、

三井の三野村利左衛門と並び証され、

「住友の広瀬か、広瀬の住友か」といわれるほどであった。

住友は社会の為に必要な事業でありながら普通の事業家が出来ないような

難しい事業をするために存在する。

そのグループに流れる源流は広瀬に元があるといっても良でしょう。

大胆に、そして細心の注意を払って事業を行う

広瀬には学ぶところが多い。また、困難にあっては、常に新しい道を開く

という姿勢は事業家には学ぶところが多い。

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事業は細心の注意を

幕末の1863年 35才だった広瀬は住友の別子銅山の経営建て直しを

行っていた。経営の再建を図る為である。

経営難になった最大の理由は幕府が、何度も御用金を催促してきたからである。

経費を切り詰め、なんとか事業を進めようと考えた矢先に安政の大地震が起きた。

続けることが非常に厳しくなったが、幕府は引き続き事業継続を要請するも

住友にも資金がなく、そこで幕府に融資をもとめたが、幕府も財政は厳しいが

わずかな金額を融資くれたお陰で何とか事業を存続することが出来た。

しかし、以前厳しい状況は続いていた。もっとしっかりした体制にしなければ

ならないと広瀬は考えて、「利銀積立法」という規則をつくる。

これは貸しのあった藩に対して無利息でカネをかり基金とし、

この利益を積み立てることで基金を大きくし基金が増えたところで元の借り入れを返済し

更に本業の銅山の儲けがあった場合にもその利益の一部を組み込み備えを大きくしていった。

事業に危険はつき物。

ふだんから備えを怠らないことが必要だ。

今ではこのような仕組みはあるが、当時としては画期的な仕組みだった。

厳しい状況にあるときには、常に新しい方法を考える。

結果、この基金は昭和元年には当時のお金で3000万円(現在でいえば900億程度)

にも登った。

その後の銅山経営では、この方法で幾たびの経営危機を乗り切ることができた。

この手腕をかわれ、別子銅山の総支配人に抜擢されたのである。

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広瀬宰平の生い立ち

近江(今の滋賀県)の医者の次男として生まれ、後に父の弟に引き取られるが

この弟が、当時住友家に仕えており当時は別子銅山の支配人として活躍していた

こともあり、子供の頃から叔父に連れられて銅山にいき、早々と奉公人として

励むことになった。

9歳のころには、趣味は仕事。仕事の合間をみて「四書」儒教の経典を読んでいた。

また、これにまつわる解説書も読み、父親の2番目の弟が儒教の学者ということもあり

教えを学んでいった。

このような勉強振りを評価していたのが、住友家の当主であった友視であった。

住友の経営陣の1人で広瀬義右衛門に子供がなかったことに目をつけて

広瀬家の養子にすることをすすめ、養子になった。

このことを後に

「今は薄給だが広瀬家の養子になれば一生お金に苦労しないですむ。

家計のことを考えずに仕事に打ち込むことが出来る」

と非常に喜んだという。

元々、広瀬宰平は、養子に行く前は北脇駒之介という名前であった。

養子に行くことで広瀬という性にかわたっが、

宰平という名前は自分で創ったものである。

「身苛も多数の部下を主宰す、百事を処理するに公平を失わざるべし」という

言葉から宰平という名前にした。

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幕末から維新にかけての動乱を生き抜く

「利銀積立金」を導入し経営再建を図っていたが時は幕末の動乱期。

1866年幕府は長州征伐に乗り出した。

これにより兵糧が必要となりこれまで、170年もの間に行われていた

米の払い下げが停止された。

払い下げられた米の代金は、翌年の幕府が徴収する御用銅の代金のうちから

支払われる仕組みになっており、住友の別子銅山でもこの米を労働者に分け与えて

いた。当時必要だった米は1年間で1万2千石。ところが払い下げが停止されたことにより

その年に調達された米は半分の6000石だった。

労働者たちは途方にくれ、広瀬はこの事態を打開するために幕府へ何度も陳情に上がるが、

幕府は戦争のことが一大事で銅山のことなどかまっていられない。

何度もやり取りの末、米の払い下げは復活したが、これに関連して米の値段が急騰して

2倍にもなっていたのである。

別子銅山では、元々市場価格の半分の値段で労働者たちに分け与えていた。

ところが、払い下げ停止以降、市場価格で買うしかなくなったのである。

そこで住友の別子銅山でもやむなく米を値上げしたが

これが労働者達の暴動につながっていく。

諸事情を知らない労働者たちは、自分たちが住友によって搾取されていると

勘違いしていたのである。

しかし、元々山の男達で、気性はめっぼう荒い。

そして暴動を起こし始める。役員たちが説得にいっても

「俺たちも飢え死にするだからお前たちも一緒に死んだらどうだ」

など説得もできず帰ってくるしかなかった。

ここで広瀬は、1人で暴動をしている労働者グループに乗り込み

今の政情のことから、勘違いであることを切々と説いて周った。

最初は中々、話も聞いてもらえなかったが、徐々に聞くものが増えていくと

労働グループも自分たちの暴動の非を認めた。

やがて代官がやってきたが、労働グループの中でのリーダー格数名の逮捕

のみで許してもらうように交渉したのである。

これが元で、労働者たちは、広瀬に多大な信頼を寄せるようになる。

勇ましい男たちとの交渉は当初困難を極めたが、

冷静に、対処し、誠意を持って相手の懐に入ってみる。

これは、広瀬の事業に対しての信念となっていく。

また、別のエピソードとして明治初年の戊辰戦争の際に、官軍から幕府の拠点と勘違いされ

差し押さえられてしまった。

そこで、差し押さえの担当だった後の、日銀総裁、川田小一郎の自宅を毎日のように通った。

そこで、住友直営の銅山であること、長い歴史があること、そして今財政の危機的状況にあること

など訴え川田は、内々に差し押さえを解いてくれた。広瀬は、当時の権力者であった岩倉具視に対しても

熱心に差し押さえ解除を懇願していたのである。

このときに出来た人脈には、当時の権力者たちが並んでおりこのパイプつくりができたのだ。

後年、川田が日銀総裁になったときは、広瀬は監事となり、国家の中枢にも入り

政界へのパイプや貴重な情報も得ることができたのである。

災いあって福と成すというのはこういうことだろう。

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困難な事業こそ花開くのだ

広瀬の功績は別子銅山を経営危機から救ったということだけではない。

企業の近代化とうことにも取り組んでいった。

賞罰制度、さらに、生産から販売までのラインを一本化にした。

さらに労働慣行も改善した。

太鼓によって時間の厳守を徹底させて給食制度をやめて弁当を持参させたこと。

更に、労働者の住んでいた住宅を払い下げる措置をとった。

これは独立精神を養う為にだとしている。

また、設備の近代化にも力を注いだ。

銅山ではそれまで人力でおこなっていたが、大きな岩にあたると作業が大幅に

時間がかかってしまったが、これをダイナマイトで爆発させる方法をとったり、

外国人技師、フランス人のロックに下で徹底的に調査をさせて生産性の向上を

図った。こうして近代化によって銅山の生産は飛躍的に伸びて住友財閥の基礎に

なっていった。

更に、広瀬は不動産、商社、海運、化学事業なども次々に創業していった。

その中で銀行業への進出は遅かった。

広瀬はこれについてこのように語っている。

「銀行の多くは両替商出身だ。ただ座ってソロバン

はじいて儲けるというものだ。

住友はもっと困難で国のためになる事業を行うべきである。

それが、住友の発展であり国の発展にもなるのだ」

後の住友三代目になった鈴木馬左也は経営方針の中でこのように語っている。

「住友は国家と休威を共にする覚悟をもって、

その事業範囲を国家の要請するものに

限定し、いやしくも利益に眩惑されて

本旨にもとる事業には手を染めざること」

と定めた。

困難に当る度に、独自の方法を考え乗り切って言った広瀬は

困難を破るたびに飛躍的に成長していき今日の住友財閥隆盛の基礎をつくった。

 

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」をとったものの、家族や仲間、そして本の力で何とか社会人まで登り詰める。住宅メーカー(東証一部上場企業)出身で工務店支援事業を皮切りに、電子書籍事業などメディア事業も手掛けている。
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