セコム創業者 飯田亮 常識を疑ってみる

公開日: : 偉人伝 ものの見方

main1

セコム創業者 飯田亮氏

まず、常識を疑うべきです。

世間の風習や常識には随分と合理的でない

ものが多い。

事業をするなら、誰もやっていないことを

やることが大事ですね。

苦労もあるが、どんな立場でも苦労はある。

せっかくのチャンスがあればチャレンジすべきです。

ご存知、セキュリティーサービスの会社ですね。

創業は学生時代の先輩後輩の2名でスタートしましたが、

ちょうどヨーロッパには警備専門の会社がある。

ということを知り、これは日本でもできる!と考えて

創業したそうです。

日本の初めてのサービスということで

話は聞いてくれる企業が多かったが

中々契約が決まらない。

契約が決まらなかった一つには当時にはあまりない

「三ヶ月前納」

「前払い」

という条件もあった。

もう一つは、コネを一切使わない。

実に創業して4ヶ月の間、受注がなかったが

ついに契約がとれた。

後に、本当に良いものであれば

分かる人は必ずいる。

信じて根気よく行うこと大切だ。

と語っている。

しかし、相変わらずスポット契約ばかりで中々大口契約が

取れなかったが、ユニークな事業ということで

マスコミに取り上げられる機会も増えて

問合せも増えるようになってきた。

最初の大口契約は

現在の東京ビックサイト 国際展示場だった。

このころから、常時警備の仕事も少しづつ

増えていった。

img_photo_story_10

 

創業当時のセコムがモデルのドラマ「ザ ガードマン」の集合写真

視聴率が40%を越える大ヒットドラマになりました。

当時はスポット契約が多い中で

契約が決まると、人材を採用するという

やり方で人材を増やしていった。

転機は東京オリンピック

昭和39年でのオリンピックで警備ができないか

オリンピック委員会から仕事の打診があり、

オリンピックでの仕事は大きく受けたいが、

オリンピック後の仕事の確保ができるか

不安な点も多くあったが、

ここが勝負と腹を据えて行った結果、

社会からの認知や、社員のモチベーションも上がり

初めて大阪に支社を出した。

この頃から需要が多くなってきたが、

やがて、人材も増えたり案件も多くなると

人だけでは難しくなると考えて

昭和41年に、遠隔監視システムを創りました。

センサーの技術を使い、必要なときに駆けつける

ということを考えて創ったものだった。

この仕組みは

「SPアラーム」というシステムで

最初の契約先は銀行だった。

ここに至り、集中管理システムと

異常を察知した際に緊急要員で

いつでも稼働できる体制の基本が出来上がった。

今日では、200万件以上の顧客を持つが

この基盤が出来上がった年でもあった。

ここに来て順調な事業発展であったが

好事魔多し。

社員による、窃盗などあり代変な会社は大変な

事態になりました。

この頃から、

理念経営の構築というものを

社員とともに創っていきます。

更に、業績も成長しますが、

ここで事業の転換を図ります。

事業の主軸をSPアラームへ。

当時は常設契約が2000件、SPアラームが500件と

まだまだSPアラームの需要が多くあるということは

考えられなかった。しかし飯田は

現状の常設警備は、価格を大幅に上げて

それでも当社でという顧客のみの行う。

理由は、機械できることを人が行うことは

人の尊厳にも関わる。ということだった。

そして、常設警備を依頼してくれている会社へ

SPアラームへの契約変更をお願いしていきますが

行く先々で、取引先からは抵抗にあいます。

解約も増え続ける中で

社員一体で営業を勧めていった結果

大幅に成長することになります。

更なる普及へ

一般電話回線への普及

を図り、一層商品も認知されていくようになります。

もう現在では知らない方がいないくらいの認知度が

あるセコムですが、

会社のビジョンとして

「社会システム産業」というものを標榜しています。

そして

「安心プラットフォーム」を社会へ実現するとう

目標をもち事業を進めています。

飯田は

「特に新しい社会へ移行するときは

新しいサービスも必要であるが、

その導入は直ぐには行かない。

現状へ満足や、保守的な考えも強いからだ。

だから、ここで諦めずに、果敢に勇気をもって

前に進めるかどうかとうことが、大切だ。

新しいことに進む勇気をもとう」

と語っています。

常識を疑い、今の社会にないサービスを追求し成功を

治めた飯田亮氏。

起業家には特に学ぶべき点がありますね。

The following two tabs change content below.
石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」の落ちこぼれ。日本にある素晴らしいものごとを国内外に広めていきたい。 それが私たちの想いです。長い歴史と四季のある気候に育まれた日本文化は、国内では衰退しつつある一方で、海外では日本の食文化、武道、芸道からコミック・アニメまでその愛好者は増加しています。 国内においては、日本の持つ素晴らしいものごとを見直し、海外においては、様々な商品にある歴史、ストーリー、想いを伝えていく。 日本のものごとが国内外へ広がり、その中で日本の文化や精神性に触れる機会を多く創出し、日本の素晴らしさを知って頂く事が、日本そして人類にとってもより良い社会へ繋がると考えております。
・会社のホームページはこちら
・本を使ってビジネスを拡げたい・世界へ発信したい方はこちら
・本を出版したい、相談したい方はこちら
・今ある本やカタログの電子書籍化をしたい方はこちら
・フェイスブックはこちらから
・ツイッターはこちらから
・一社コミュニティービルダーはこちら
石川博信

最新記事 by 石川博信 (全て見る)

セミナー・研修情報 
*コロナ化の為一部個別相談としているセミナーも御座います。

時流を捉え、原点を見直し、未来を創る 進化道場バナー600
出版物を電子書籍化・再版で販売してみませんか? 電子化

●石川博信への執筆・講演・セミナーのご依頼はこちらから

●まだSNSで繋がっていない方はこちらから繋がれます

友達申請の際は一言「ブログを見ました」など頂けると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

関連記事

jinmu2

世界は日本を求めている

2022/02/11 |

建国記念日の紀元節 年末から、年始にかけて色々な人と会ったり、本も読むことが出来たり し...

記事を読む

kohinata01_mf-1

偉人の仕事術 武田信玄

2017/09/08 |

戦国最強といわれた武田騎馬軍団を率いた武田信玄 1521-1573 戦い上手だけでなく治世にも...

記事を読む

250px-sanada_masayuki2-1

偉人の先見性 真田昌幸

2017/08/19 |

無類の戦上手だった真田昌幸 戦国時代の武将 1547-1611年 真田幸隆の三男で信玄の...

記事を読む

yoshitaka_kuroda

偉人の先見性 黒田如水 

2017/08/13 |

 天才軍師といわれた黒田如水(黒田官兵衛) 最後は息子長政に藩主の心得を伝え福岡繁栄の基礎をつくった...

記事を読む

JUバナー

  • コラムライター 募集
  • 人財力チーム力向上セミナー
  • 歴史観研究会
  • 日本と世界の架け橋EBOOKプロジェクツ
  • オモイカネプロジェクツ 本の力で経世済民
  • 出版の相談・本の販促
  • Japanese Style: Exquisite Problem Solving Wisdom
  • 著書:日本の偉人の仕事術(日・英併記)
  • LE SOLEIL SE LEVE A L’EST DE L’OBSCURITE A LA LUMIERE: COMPETENCES ET TALENTS DES PERSONNALITES QUI ONT FAIT LE JAPON (French Edition)
  • Para hacer negocios
Los Secretos del Éxito de los Grandes Japoneses
Conocer el parte de las hazañas: ¿Si usted fuera ellos, que haría? (Spanish Edition)
  • THE REAL RICH LIFE: Unlock the Secrets of Relationships
  • 子供たちに伝えておきたい日本のこと
  • 改訂版 とっておきの見込み客発掘法 アマゾンで発売中
  • 山元ビジネス塾 ビジネス発展で自分も日本も元気に
  • 障害者アートプロジェクツ
PAGE TOP ↑