織田信長 中世から近代へ変えた偉人の発想

公開日: : 偉人伝 ものの見方

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織田信長 中世から近代へ変えた偉人です

桶狭間での戦いなどについての過去記事はこちら

信長の発想と行動力

日本史の中でも燦然と輝く、戦国武将ですね。

私が信長を知った時期は小学生6年生ごろ。

ちょうど歴史の授業が始るころです。

少年時代、うつけ(ばかもの)呼ばわりされていた信長が

後に天下をほぼ、手中に収めるまで至った経緯には

とても勇気を貰っていたものです。

戦国時代には、多くの有力武将が現れます。

武田信玄、上杉謙信、毛利元就、、などドラマや映画にも

なるような武将がいます。

しかし、信長とは様々な点で違いがありそれが為に

天下統一までもう一歩という所まで

進んでいったのでしょう。

信長の人生をみていくと

幾つかのターニングポイントがありますが、

今回は経済力と言うところを

みて行きたいと思います。

信長の経済力は生まれも関係している

信長の経済力は他の武将に比べて格段に大きかった。

これは、信長の生まれ育った尾張では

地の利や川もあり、いくつもの津(みなと)も

あり経済が活発であり、土地も肥沃で農産物が豊かな

地域であったことが大きい。

信長の父である、織田信秀も多くの金品を

京都の寺や朝廷へも寄進、奉納もしている。

そのようなこともあり

幼少期から、経済の大切さ、力については

肌感覚で理解していたのだと考えられます。

お金を稼ぐということと、

信長性格もあり、とにかく合理的で無駄なことが

嫌い、というより許せないくらい。

有名な話では、当時は何かにつけて燃料では

薪を使った。

その使用料をもう少し削減できないか?

このようなことを考えた信長は今までの薪奉行を更迭し

新たに、秀吉を薪奉行へ向かえ

徹底的なコストダウンを命じます。

結果、秀吉は信長の期待に応え大幅に薪の使用料を減らすこと

になり成功を収めます。

やがて、隣国である、美濃(現在の岐阜県)を攻略すると

楽市楽座(特権階級にのみ許されていた、場所や資格制度などを廃止

誰でも自由に売り買い出来るようにした。)

*おそらくこれは少年期から商売で賑わう地元を見ていて

長年構想を持っていたのではないかと考えられます。

信長の上洛

いよいよ、信長に上洛の機会がやってきます。

このときには尾張、美濃とあわせても兵力が2万5千と

いわれる中で、上洛時には6万の兵で京都を

埋め尽くした。

岐阜を出発したときよりも3万5千もの兵力が増強

されています。

もちろん、途中での敵兵や同盟者からの援軍も多少あったに

しても多くは、大兵力にするために

雇い入れた兵隊であった。

雇い入れた兵隊は当然、農業はやっておらず

土地もない。

必然的に戦の専門部隊となった。

しかし、ここで問題があります。

一時的に兵を雇い入れても

戦争がなければ、腕をふるえずしかも稼ぎがあるわけでもない。

その為、金銭の稼ぎが必要でもあった。

名をより実を取る政策をということで

時の足利将軍より、副将軍の官位を勧められるが

それよりも、と

堺、草津への代官を置かせてもらった。

ここに信長の先見性と合理性が見える経済力重視の

姿勢が取って見える。

副将軍という権威よりも、

堺、草津へ代官をおく事で税収が増える。

そしてここは交通の要所ということもあり

ひっきりなしに、人やモノが動いてくる。

動けば動くほど儲かるという仕組みであり、

この経済力が、雇い入れた兵隊や

武器の調達や、町の整備にも当てられた。

この時に信長は他の有力大名が

目をつけない、経済に目をつけ

さらに、戦争がいつでもできる武将集団も手にいれ

一層力がついていった。

本拠地である、岐阜では楽市楽座が進み

他国からもドンドン人と物が流れてきて

活況であった。

このこともあり、従来は民に重税をかけて

戦費を調達していたわけだが

信長はそれを最小限にとどめ、

むしろ、民が潤う仕組みを創ったわけだった。

これは現在でも中々できない発想で

苛烈な武将というイメージが強い信長だが

非常に優れた経済や治世の仕組みを

創っていったと言える。

時間が経つにつれて

経済の差は国の差にも繋がり

やがて天下統一まで後一歩という所まで

その勢力を拡大させる。

それも裏付けていたものは経済であった。

有名な武田との戦いの長篠の戦いでは

新しい武器であった鉄砲を大量に用意したが

これも経済力(購入できる力がある)そして

当時、鉄砲を生産出来る地域は限られており、

その地域を押さえたり、原材料を海外から輸入

していたがとても値段が高かった。

お金を出してまで鉄砲を買わなくても従来の武器はある。

そのような考えは他の戦国大名には多かったが

信長は積極的にここを投資をしていった。

年少期から、経済の重要性をしり長じては

実際にその感覚を活かし

天下取りへの道を作った信長は

経済以外でも独自性を発揮していますが

治世の元になる経済力を意図的につけて

いこうと実行した唯一の武将であったと

いえるでしょう。

織田信長はそういう意味でも中世から近代という

時代を創った偉人であると思いますが、皆さんいかがでしょうか?

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」をとったものの、家族や仲間、そして本の力で何とか社会人まで登り詰める。住宅メーカー(東証一部上場企業)出身で工務店支援事業を皮切りに、電子書籍事業などメディア事業も手掛けている。
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