一流は勝利の余韻に浸らない 武田信玄 戦国最強と言われた武将
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最終更新日:2023/04/20
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戦国時代最強と言われた武田信玄
一流は勝利の余韻に浸らない。
世界一になった侍ジャパンは
もう、次に向かって走り出しています。
企業でも、良い業績で社員がわいているときに
経営者は、次の展開への切り替えを始めています。
良いときの流れも嬉しいですが、
良いときもあれば、悪いときもある。
そのときに備えて
人や資金のダムをつくっておくように
伝えたのがパナソニック創業者の
松下幸之助でした。
ここにも
良かったからといって浮かれず
次へ向かう姿勢が現れています。
また逆も真なりで、
悪かったとして、いつまでも
引きづられるのではなく、
新たな手をうつ、改善する絶好の機会だと
語っています。
良いときも悪いときも
浮き足だたず進みたいものですね。
武田信玄について話したいと思います。
武田信玄は、皆さんもよく知ってるかもしれませんが戦国武将の中で、最強と言われたことも
ある武将です。
小さい頃から、非常に優秀で、若い時期に父親を追放して、甲斐、今の山梨県の領主となった。
そこから隣の信濃、今の長野県ですね。
群馬あと一部、静岡の方まで全体的に勢力をを広げていきます。
戦いが非常に上手だったわけですが、
旗印にある風林火山。
これは孫子の兵法の中にある部分を取っているわけなんですね
信玄がいうには、戦いというのは、100%買っちゃ駄目だよと。
半分つまり50%の勝ちこそが一番いいと。
その次に7割。
ということを言ってるんですよね。
どうしてかっていうと、50%半分勝つということは、あと半分どう勝つかということを、工夫し反省する。
7割も勝ってしまうと、ほとんど安心してしまう。
全部買ってしまうと、驕りを生むということをと言っていたそうなんですよね。
信玄の墓地
7割も勝ってしまうと、ほとんど安心してしまう。
全部買ってしまうと、驕りを生むということをと言っていたそうなんですよね。
有名な話をしては、合議制というものがあります。
自分の城を持たないで、家臣団にそれぞれの領地を任せるという領国経営をしていたんですけども、
これ実は信玄の有名な言葉で、人は石垣、人は城、人は堀情けは味方、仇は敵。
という言葉に示されるように、褒美もあるけど、責任もあるよと。
家臣というのは、自分の分身だから、自分と同じ責任を持って働かないと駄目だよということの、
戒めでもあったというふうに言われています。
もちろん非常に慈悲深いあったり、家臣思いであったっていうことは、間違いがないんですけど、反面、厳しさもあったということ。
信玄というと、やはり好敵手である上杉謙信です。
謙信との戦いにおいても、両雄ゆずらずで、2人とも凄い武将ですから、なかなかやっぱり決着はつかない。
上杉謙信とのエピソードで面白いのが、武田信玄が先に亡くなったときのこと。
今まで何度となく戦っていた。武田信玄ですから当然敵なんですよね。
しかし、敵ながら、お互い通じているし部分があったんでしょうね。
謙信の領地では、喪に服すということを行っています。
敵に対しての配慮、それから息子勝頼の代になると、もう織田信長だんだん勢力を増してきたっていうこともあって、一時期同盟を組んだりもしています。
謙信と、信玄の関係っていうのは、もちろん直接話したってことはないにしても、
お互いにいろいろ認め合ってたっていうことが伺えるですよね。
信玄の言葉 示唆に富む言葉を残しています。
治世では例えば金山の開発ですとか、今も残ってる信玄堤という川の堤防をつかった。
土木工事をして、、水氾濫っていうのがあると、非常にその年のお米の取れ高ですとか、野菜の時期に影響してきたんですよね。
こういったことをしっかり領地としても抑えようと。
また国造りでは、法というものを実は大切にしてるんですよね。
自分よりもこの法に従うべきだということで、まず自分自らが従っていくという姿勢を見せています。
これもなかなか、当時のですね、この戦国時代というところにあって、なかなか出来ないじゃないかなというふうに思います。
信玄が、亡くなるときにですね、息子には、武田勝頼にですね、隣のライバルであった。
上杉謙信を頼れ。それしか武田が生き残る道はない。
ということを遺言として残しています。
つまり、情報にも通じていましたから
この先、信長と戦ったり、天下を目指したりというようなことは、望ましくないということを考えたんでしょうね。
この辺りは非常に冷静に自分の後継者としても、見ていたというふうに考えられます。
実際には、武田勝頼は非常に優秀な武将だったにも関わらずですけどね。
最後には負けてしまったっていうことがあります。
この戦国武将武田信玄。私も好きな武将の1人なんですけども、よく見るとですね、
今の社会にも十分通じるような、組織の運営、それからリーダーとしてのあり方。
外交の方法たくさん学べるところがあるんじゃないかなというふうに思います。
石川博信
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