偉人の仕事の進め方 大国主命の国造り
日本の国祖とも言える大国主 出雲大社の主祭神です。
大国主(オオクニヌシ)は後の名前でスサノオによって名づけられました。
元々は大己貴神(オオナムチ)という名前で
大国主(オオクニヌシ)という名前は大いなる国の主という意味で
スサノオの7代目の子孫でもありました。
後に葦原中津国(日本)の国造りを行い、更には造った国自体も天津神に譲る(国譲り)訳ですが
日本神話での最初のスーパースターがスサノオであったとしたら、大国主はとても日本的なヒーロー
で合ったと思います。
大国主は日本ではじめての「いじめ」にあい弱虫であったからこそ
日本の国造りという偉業が出来たからなのです。
そしてその偉業には仕事で学ぶ点が多くありそれを今回紹介できればと考えてみました。
古事記での大国主は「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」の物語から始ります。
若き日の大国主は大勢の兄弟がいて(八十人ともいわれる)使い走りになっていました。
ある時兄達一行は美人と名高い八上比売(やがみひめ)という大変美人な女性をものにしようと
旅にでます。そのときにも兄達の荷物もちとして一緒に出かけています。
古事記では(従者 まがもの)として書かれていますから今で言う「パシリ」であった訳です。
荷物もない兄達は早々とあるいていきますが、その途中に毛皮を脱いだ真っ赤なウサギがいました。
苦しんでいるウサギに兄たちはウサギに向かって「海水を浴びて横になれば治る」と嘘をいいます。
そこでウサギは言われたようにしますが、海水がしみて再び痛くてより苦しんでいる。
そんなときに大国主が現れてウサギにどうしたか?聞くと
ウサギは隠岐の島に住んでいるが海を渡ろうとしてサメを騙してここまできた。
というと、ウサギを叱るわけでもなく
「河の水で洗いなさい。そのまま蒲(がま)の花の花粉をとってそれを敷き詰めて横になれば
なおります」
といってあげてウサギの肌は治った。
これが因幡の白兎の話ですが、本来嘘をついて騙した罰だ言えばそうですが、
大国主は叱らず(もう十分反省している、おまけに兄達に騙されてくるんしんでいる)ウサギを察して
優しく接してあげた。
ウサギは大国主に「あの大勢の神々は決して八上姫を手に入れることはできません、
八上姫を妻に出来るのはあなたです」といった。
そして八上姫にあいにいくと案の定、兄たちには目もくれず、大国主の妻になると姫はいいます。
面白くないのは兄達で使いパシリでいじめられっ子の大国主が何でだ!ということになり
兄達は大国主を殺そうということを考えます。
最初は山にいる赤い猪を取るからという理由で山に呼び、自分たちが猪を追い出すから下でまってって捕まえろ!
というわけです。いよいよ山から猪が下りて来たと思ったら降りてきたのは
真っ赤に燃えた赤い石だったのです。大国主はそれを受け止めて焼け死んでしまいます。
息子の死を知った母親が悲しみ天津神に頼み、赤貝姫とハマグリ姫を遣わしてもらい手当てを受けます。
赤貝姫が石についた遺体を集めて、ハマグリ姫が母乳をぬったことで大国主は蘇ります。
大国主が生き返ったことを知った兄たちは今度は恐怖を感じながらも再び殺そうとたくらみます。
今度は巨木を半分にきりその間に大国主を誘い入れて挟み殺すというものでした。
しかし、またもや母親が天津神にお願いして生き返らせることが出来ましたが、
またいつ兄達にねらわれるか分からないということで、根の国のスサノオのところへ行くことに
なります。流石に根の国の大王になっているスサノオのところであれば兄達もては出せません。
スサノオの国にいくとスサノオの娘スセリ姫がありたちまちに恋に落ちます。
スサノオはいくつもの試練を大国主に与えますが、スセリ姫の知恵によってその都度乗り切ってしまう。
最後には駆け落ち同然でスサノオが寝ている隙に根の国から脱出しますがそれもばれてしまい
途中まで追いかけられるも、スサノオがあきらめて
「兄達をその武器で追いやれ、そしてお前は大国主となって葦原中つ国(日本)を納めるのだ」
といわれながら国に帰るともう弱虫の大国主ではありません。
兄たちは力がついていた大国主の敵ではありませんでした。
それから国造りが本格的に始りますが、どうやって創ればいいか・思案しているとスクナヒコ(一寸法師の原型といわれる)が
現れて参謀役として国造りのアドバイスをしてくれます。
しかししばらくすると、元の国に戻ってしまいました。自分はどうすればと砂浜で嘆いていると
海の向こうから光の玉がやってきて、大国主が「あなたは誰ですか?」と聞くと
「私はあなたの幸魂、奇魂」といい「私を大和の地に祀れば国造りは上手くいくだろう、祀らなければ上手くいかない」
といわれ大国主は言われたとおりにしました。
これは「もう自分に自信を持って国つくり進めてよい」という自分自身の声だったかも知れませんね。
もっともこの光の玉は「大物主(オオモノヌシ)」として今に至るまで祀られており、
神を祀るということからも日本最古の神社とも言われています。
大国主の仕事の仕方で学ぶところは
素直に話を聞く
優しく廻りに接していることで常に協力者がいる
自分の力でなく衆知で進める
このような所だと思います。
自分がむしろできない、わからないとうコトを自分でも素直を認め
適材適所に力を借りて国を造っていく。
いじめられっ子だった大国主がやがて日本の国祖となり国造りを行った。
その背景にあった優しさ、人を尊重する、素直さ
このように人のあるべき姿の形を示しているとも思う。
最後には大国主は自分で創ってきた国自体も天津神に譲ります。
いわゆる国譲りです。
ここの決断は息子であり後継者の事代主に任せますが、天津神に自分が創ってきた国を譲るいうのは
相当なことだったと思います。
これは推測ですが古事記には「ウシハク」と「シラス」という統治方法が出てきます。
ウシハクというのは領ける(ウシハケル)というのは国の主人となり領地領民を私的に支配し
その上で王として君臨するとうものです。ほぼ全ての王政がこれに当るといっていいでしょう。
一方で「シラス」というのは「統らす(しらす)」知らしめる。という合議や情報の共有など
特定の権威の(このときは天津神)元で皆が集い、情報を共有し役割を決めて統治するという方法です。
実際に国譲りの交渉のときでも大国主の領ける(ウシハケル)国
我が御子のしらさむ(シラサム)国
という比較でも出てきており、大国主自体が造って来た国であったが
統治方法は「ウシハク」ではなく「シラス」にしたほうが良い。
この大英断(実際は息子事代主がしたとされる)により日本における皇統や
統治方法である「シラス」で今まで一度も国体に変化なく世界最古の歴史を持つ国
になったのだと思います。
最も、天津神も大国主の大英断には最大限の敬意を払い
神殿の建築を行いました。今日に至るまで世界でも最大級の木造48メートルあった神殿で
あった事が明らかになっています。
平成15年には出雲大社に行かれた皇后陛下は次の歌を詠んでいます。
国譲り
祀(まつ)られましし
大神(おおかみ)の
奇(く)しき御業(みわざ)を
偲びて止まず
「奇しき御業」というのは、「たぐいまれな業績」と称えています
国を造り更にその国を譲る。こんなことを行った大国主
いじめられっこでも弱虫でも自分では出来ないことが多くても
廻りに優しく接して周りを生かすようにすれば凄い偉業もきるよ、っていう
大国主はその生き方で今に教えてくれているかと思います。
石川博信
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