世界初の総合商社を目指して 三井物産創業者益田孝

公開日: : 最終更新日:2025/07/15 未分類

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写真は15歳のとき すで凛々しさが出ていますね。

あの有名な三井物産を作った益田孝さんについてです。

この方のエピソードを知っていくと、

本当にすごい人生を歩まれた方だなって感動するんですよね。

佐渡の島で生まれた少年・徳之進

益田孝さんは嘉永元年(1848年)に、

佐渡の相川町で生まれました。

幼名は徳之進っていう名前だったんです。

お父さんの鷹之助さんは箱館奉行を務めていて、

その後江戸に赴任することになったので、

徳之進さんも江戸に出てきたんです。

江戸時代の終わりの頃って、もう外国との接触が始まっていて、

日本も大きく変わろうとしていた時代だったんですよね。

そんな激動の時代に、この少年がどんな風に成長していくのか、

本当にワクワクする話なんです。

ヘボン塾でアメリカ人から英語を学ぶ

江戸に出てきた徳之進さんは、ヘボン塾っていう学校に通うことになったんです。

これがすごいんですよ。ヘボン塾って、あのヘボン式ローマ字で

有名なジェームス・カーティス・ヘボンさんが作った学校なんです。

今の明治学院大学の前身なんですって。

そこで徳之進さんは、本格的に英語を学んだんです。

当時の日本で英語を学べるなんて、

本当に珍しいことだったと思います。

でも、これが後の彼の人生を大きく変えることになるんですよね。

さらにすごいのは、麻布善福寺に置かれていた

アメリカ公使館で働くことになって、あのハリス公使から直接英語を教わったんです!

ハリス公使って、日米修好通商条約を結んだ、

あの有名なタウンゼント・ハリスさんですよ。

歴史の教科書に出てくる人から直接教わったなんて、本当にすごいことですよね。

15歳でフランス留学!

1863年、なんと徳之進さんは15歳でフランスに留学したんです。

15歳ですよ!今の中学3年生の年齢で、

一人で海外に行っちゃったんです。

海外渡航がどれだけ大変だったかを考えると、

本当に勇気のいることだったと思います。

この留学体験が、後に益田さんが世界を相手に

ビジネスをする時の大きな財産になったんですよね。

語学力もそうですが、外国の文化や考え方を若いうちから

身につけていたことが、本当に大きかったと思います。

武士として戊辰戦争を戦う

面白いのは、益田さんって幕末の激動期に武士として

生きていたってことなんです。

髷を結って、刀を差して、本当にお侍さんだったんですよ。

戊辰戦争では、なんと徳川の直属軍の士官として官軍と戦ったんです。

つまり、明治政府と戦った側の人だったんですね。

でも戦争が終わった後、明治政府の大蔵省で働くことになるんです。

敵同士だったのに、その後一緒に働くなんて、

当時の日本って本当におおらかだったんだなって思います。

27歳で三井物産を創立!

1876年(明治9年)7月1日、益田さんは27歳で

三井物産を設立しました。職員はたったの16名でした。

今でいうベンチャー企業ですよね。

益田さんがすごいのは、その志の高さなんです。

「三井物産会社を創立したのは、大いに貿易をやろうというのが眼目であった。

金が欲しいのではない、仕事がしたいと思ったのだ」って言ってるんです。

お金儲けのためじゃなくて、「仕事がしたい」って言ってるところが

本当に素晴らしいですよね。そして、

「眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく、

遠大な希望を抱かれること望む」っていう志も語ってるんです。

目先の利益に惑わされないで、

長期的な視点を持ちなさいっていうことですよね。

27歳でこんなしっかりした考えを持っていたなんて、

本当にすごいと思います。

世界初の総合商社を作る

益田さんが作った三井物産って、

実は世界初の総合商社なんです。これってすごいことですよね。

今でこそ商社っていうのは当たり前にありますが、

当時はそんなビジネスモデルはなかったんです。

石炭、米、綿花、生糸など、なんと300種類もの商品を扱ったんです。

明治40年代には、日本の貿易総額のほぼ2割を占めるまでになったそうです。

日本の貿易の5分の1を一つの会社が担っていたなんて、

本当にすごい影響力ですよね。

三池炭坑の払い下げを獲得

益田さんのビジネス手腕で特にすごいのが、

三池炭坑の払い下げを獲得したことなんです。

これが後に「三井鉱山」になって、

産出する石炭を上海や香港、シンガポールなどに輸出することで、

三井物産の飛躍的な成長の原動力になったんです。

当時の日本の主要な輸出品って、石炭だったんですよね。

そこに目をつけて、炭坑を手に入れて、

海外に売りさばく。今でいう垂直統合ビジネスモデルですよね。

本当に先見の明があったと思います。

新聞事業にも参入

益田さんって、商社だけじゃなくて、新聞事業にも参入したんです。

「中外物価新報」っていう新聞を創刊したんですが、

これが後の日本経済新聞の前身になったんです。

情報の大切さを理解していたんですね。貿易をやるには、

世界の情報が必要ですから。自分で新聞を作って情報を集めて、

それをビジネスに活かすっていう発想が本当にすごいと思います。

茶人としても超一流!

実は益田さんって、お茶の世界でも超有名な人だったんです。

「鈍翁(どんおう)」っていう号で、

「千利休以来の大茶人」って言われるほどだったんです。

ビジネスマンでありながら、

文化的な面でもトップレベルだったなんて、

本当に多才な方だったんだなって思います。お茶の心って、

おもてなしの心ですから、それがビジネスにも活かされていたんじゃないでしょうか。

個人会社から財閥への成長

三井物産は、最初は益田さんがほとんど一人で責任を

負う個人的な会社だったんです。でも、

その会社がほどなく三井銀行、三井鉱山とともに

三井財閥の主要な地位を占めるまでに成長したんです。

一人の青年が始めた小さな会社が、

日本を代表する財閥になるまで成長したなんて、本当にドラマチックですよね。

91歳の長寿を全う

益田さんは昭和13年(1938年)に91歳で亡くなりました。

当時としては本当に長寿だったと思います。

昭和の二桁まで生きていたということは、

明治、大正、昭和の三つの時代を生き抜いたってことですよね。

幕末に武士として生まれて、

明治に実業家として成功して、大正・昭和まで

生きて日本の発展を見届けた。

本当に激動の時代を生き抜いた方だったんだなって思います。

現代に通じる益田さんの教え

益田さんの経営哲学を見ていると、

現代のビジネスにも通じることがたくさんあるんですよね。

まず、「お金が欲しいのではない、仕事がしたい」

っていう姿勢。これって

今でいう「ミッション・ドリブン」な経営ですよね。

目的意識を持って仕事をすることの大切さを教えてくれます。

それから、「目先の利益に惑わされず、長期的な視点を持つ」

っていう考え方。これも現代の持続可能な経営に

通じる考え方だと思います。

若いうちから海外経験を積んで、

語学力や国際感覚を身につけていたことも、

グローバル化が進む現代には本当に参考になりますよね。

情報の重要性を理解していた先見性

益田さんが新聞事業を手がけたのも、

情報の価値を理解していたからだと思うんです。

今でいうデータドリブンな経営の先駆けですよね。

正確な情報を持っていることが、

ビジネスを成功させる鍵だって分かっていたんです。

これって、今のビッグデータ時代にも通じる考え方だと思います。

文化と経済の両立

益田さんが茶人としても一流だったっていうのは、

本当に素晴らしいことだと思うんです。

ビジネスだけじゃなくて、文化的な素養も深めていた。

これって、今でいう「教養のある経営者」

の理想的な姿ですよね。

お茶の心である「おもてなし」の精神が、

きっとビジネスにも活かされていたんだと思います。

お客さんを大切にする気持ち、

丁寧に物事を進める姿勢、

そういうものがビジネスの成功につながったんじゃないでしょうか。

時代を超えた学びがいっぱい

益田孝さんの人生を振り返ると、本当にたくさんの学びがあるんですよね。

15歳で海外留学をした勇気、武士から実業家に転身した柔軟性、

27歳で会社を起こした実行力、新しいビジネスモデルを作り出した創造性、

長期的な視点を持った経営哲学、文化的な素養も忘れない人間としての深み。

どれを取っても、現代の私たちが見習いたい要素ばかりです。

特に私が感動するのは、「仕事がしたい」って言い切った姿勢です

。お金のためじゃなくて、やりがいのある仕事をしたいっていう気持ち。

これって、働く人みんなが持ちたい気持ちですよね。

今に生きる益田さんの精神

三井物産は戦後いったん解散させられましたが、

1959年に復活して、今でも日本を代表する総合商社として活躍していますよね。

きっと益田さんの精神が、今でも会社の中に生き続けているんだと思います。

法人格的には継続していないけれど、

益田さんが残した理念やDNAは、

確実に受け継がれているんですね。これって本当に素晴らしいことだと思います。

みなさんも、何か新しいことを始める時や、

困難にぶつかった時には、益田孝さんのこの言葉を思い出してみてください。

「金が欲しいのではない、仕事がしたいと思ったのだ」って。

きっと、本当にやりたいことが見えてくると思いますよ。

私も益田さんのように、目先の利益に惑わされず、

長期的な視点を持って、やりがいのある仕事を続けていきたいなって思います。

益田孝さんの人生って、本当に教科書みたいな成功ストーリーですが、

同時に一人の人間としての魅力にも満ちているんですよね。

そんな益田さんの生き方から、現代の私たちも多くのことを学べると思います。

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」の落ちこぼれ。日本にある素晴らしいものごとを国内外に広めていきたい。 それが私たちの想いです。長い歴史と四季のある気候に育まれた日本文化は、国内では衰退しつつある一方で、海外では日本の食文化、武道、芸道からコミック・アニメまでその愛好者は増加しています。 国内においては、日本の持つ素晴らしいものごとを見直し、海外においては、様々な商品にある歴史、ストーリー、想いを伝えていく。 日本のものごとが国内外へ広がり、その中で日本の文化や精神性に触れる機会を多く創出し、日本の素晴らしさを知って頂く事が、日本そして人類にとってもより良い社会へ繋がると考えております。
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