偉人の先見性 真田昌幸

公開日: : 最終更新日:2017/08/19 偉人伝 ものの見方

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無類の戦上手だった真田昌幸

戦国時代の武将 1547-1611年

真田幸隆の三男で信玄の小姓として使え後に勝頼にも使えるも

武田氏滅亡後は自立して近隣大名の徳川、北条、上杉の間で生き残りをかけた

謀略、戦いをし特に

多勢に無勢でありながら徳川を二度撃退した戦いで有名

三男でありながら家督を継いだことは兄たちが戦死したこともあるが

幼いころより戦場に出陣し、川中島の戦いでは信玄の警護としても出陣している。

折に触れ、信玄のものの考え、治世や道徳、さらには戦の方法も目の当たりで

見ており、生涯武田信玄を慕ったといわれる。

真田昌幸の先見性

これが多く発揮されるのは、織田信長亡き後、主家であった武田氏もなく

自力で活路を見出すしかなかったときに特に発揮される。

最初は北条方についていたが、そこにと徳川家康が武田氏、織田信長の旧領をめぐり

真田領も含み参戦してきて、北条、徳川、上杉の三つ巴の様相となった。

その中で北条が真田領付近まで接近し圧力を掛けてきたことを契機に

徳川家康に寝返った。しかし、まもなく徳川と北条が和睦をし真田領について

徳川が北条に譲渡するという取り決めをしたためこれに反発し越後の上杉家に

近づき、以後同盟関係になる。上杉はそもそも武田とは何度となく戦いをしてきた

間であったが、当主上杉景勝の「すべては戦国の習い」という決断で上杉家が

真田を保護するような体制になった。このようなことがおき、

徳川、北条ともに敵対関係になった真田昌幸であったが背後に上杉がいるという

こともあり(実際には出兵協力もなかったそうだが)徳川、北条が大軍を率いて

真田へ責めるも見事撃退され、この徳川、北条という次の天下に近いと思われていた

両氏をわずかな兵力でかったことで非常に昌幸の名前は有名になる。以後は豊臣に

上杉が従うにあわせて自動的に秀吉傘下となり、次男、信繁(のちの幸村)は大阪城で秀吉の

近習として働くことになる。

後年、関が原の戦いの折には石田三成側につき、(その意味では見誤ったといえるかもしれない)

その際には、徳川が勝っても、石田方がかってもどちらが勝利しても家が残るように

長男は徳川方に、昌幸と幸村は石田方につくという、家をわってまで生き残りが出来るように

進めていった、世にいう、犬伏の別れである。

家を守ること、王者家康に挑戦すること

実は、この二つを行いたかったのではないかと関が原移行の動きをみると想像できる。

関が原では徳川家康の後継者である秀忠が38000人という大軍勢を率いて真田領へ攻め入るが

またしても撃退しここに徳川を二度破ったとしてその名を知らぬものがいない

名将としての声はあったものの、肝心の石田三成が関が原で敗れたために

昌幸が描いていた関が原後の構想はついになくなったが(構想は旧武田領をもらいうけるというもの)

万が一、に備えて長男を徳川方につけどちらにしても家を残すという

方策があたり、長男信幸が真田領をつぐことになり、真田家は明治維新まで

安泰であった。その意味でも家を守るという一つの命題は達成できた。

和歌山県の九度山に流されるが、年老いても最後に、豊臣と徳川で必ず戦いが起こるとして

その際に息子、幸村に策を授けていたとも言われる。

何年もの間、幽閉されてきたわけだが、世が徳川幕府となり、家康も引退し息子秀忠に

将軍職を譲っていたが、昌幸は必ず戦はあると予言し

息子幸村には、戦いが起きるときには豊臣方につき、徳川を戦いたかったといっていたという。

特に、大阪城が主戦場になると見込み、篭城の場合の策、そして先手をうっての戦いを

伝えていたという。

先手を打っての戦いでは、篭城をせず岐阜あたりに布陣をし京都に入らせないという案や

京都に入ったときに迎え撃つ案と、どちらも同時並行で秀頼を関白太政大臣に朝廷に働きかけ

徳川軍を苦しめた後に,天下総無事令を出し、戦況が有利なった時点で、豊臣の天下ということを

大阪城に、大名一同集め新しい知行割や政治体制を伝えるというものである。

新しい知行割にはもちろん真田が大きな地位を占めようと考えていたことと思う。

いずれにしても戦いでは篭城が反対であり家康の年齢を考えると早期に決着をつけようとする

コトを考え、むしろあせっていることを逆手にとり、先に家康を討ち取りそれから

将軍秀忠をも討ち取ろうとしていたらしい。

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家康に立ち向かあと寸前で討ち取るとこまでいった息子幸村

世間では昌幸よりも家康を後一歩まで追い詰めた幸村の方が有名かもしれませんね。

もちろん幸村は優秀で名将ですが、

父の思いである、家を残す、家康に挑戦するということ

をできたのは昌幸がなくなった後の事だが、優秀なこともにめぐまれ

どちらも叶えた昌幸はやはり先見の明と武将らしいチャレンジ精神があったのでは

ないかと思う。

時の絶対権力者相手に、二度も勝ち、最後まで家康を苦しめた真田昌幸、幸村親子には

その知略や先見性には学ぶところが多くありますね。

 

 

 

 

 

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」の落ちこぼれ。日本にある素晴らしいものごとを国内外に広めていきたい。 それが私たちの想いです。長い歴史と四季のある気候に育まれた日本文化は、国内では衰退しつつある一方で、海外では日本の食文化、武道、芸道からコミック・アニメまでその愛好者は増加しています。 国内においては、日本の持つ素晴らしいものごとを見直し、海外においては、様々な商品にある歴史、ストーリー、想いを伝えていく。 日本のものごとが国内外へ広がり、その中で日本の文化や精神性に触れる機会を多く創出し、日本の素晴らしさを知って頂く事が、日本そして人類にとってもより良い社会へ繋がると考えております。
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