西郷隆盛 segodon 敬天愛人

公開日: : 偉人伝 ものの見方

幕末維新の英雄 西郷隆盛

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西郷はあるときは政治家として軍人として語られるが、中々その実像に迫ることが難しい

程の大人物であったと思う。

勝海舟は西郷隆盛のことを「高士」と呼んでいる。抜きん出た人格者ということだ。

確かに西郷にはその部分が大きくそれ故に政治家としてか軍人としてか、また教育者としてか?

何処から見るかということでもその人物像は違うように浮かび上がる。

ここでは、西郷の政治家であり軍人として活躍していたときの

一部ではあるが切り取ることによって仕事の仕方という点で進めていければと考えた。

元々西郷は藩の書方であったにも係わらず島津斉彬に見出されてやがて日本をも大きく変える

明治維新の立役者となるわけですが、そもそも何故見出されたかということです。

これは島津斉彬が広く藩政に意見を求めることを行ったことが大きく

人材発掘をしたいということで行ったものです。

そこで西郷は意見具申をしていきます。内容は残っていませんが主に農政そして

政治のあり方についてのものが多かったようです。そして藩主の目に留まり、

島津斉彬の側役として使え、教えを受けました。これが大きい。

そして島津斉彬から多くの見識をもった藩主や志のある人物を紹介されて知遇を得ることに

なります。そこで更に見識を広めていったことが後世に残る大事業を行う器を作ったともいえます。

偉い方へも意見具申を行う

もし西郷が島津斉彬への意見具申がなければ引き上げられてもいなかったでしょうしもしかしたら

明治維新もなかったかも知れません。しかしながら意見具申をするということが勇気が要ります。

最初に必要だったのは勇気だったかもしれません。

様々な人との交流を積極的に図っている

これは激動期であった幕末において有識者は何を考えているか?ということもさることながら

情報収集にも勤めていたということが分かります。

そして西郷はあう人が例え年下であっても非常に丁重に扱ったという。

そのようなこともあり西郷の評判はとてもよくなり薩摩藩という雄藩ということもあり

大勢の人に面談を求めれるようになっていく。

またそのような中神とも仰ぐ藩主、島津斉彬の突然死、そして急変する政治状況の中で

西郷は死を幾たびも覚悟します。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

後年西郷は、天下を動かす人の条件として

命もいらず名もいらない人でなければ大難にあたって国を動かすことは出来ない。

と語っていますが西郷自身もそのようにことに当っていたことが

大きいと考えられます。

とても現実的な対策をする一方で難問に当っては命懸けでことにあたった。

そして判断には狂いがなかったといわれます。

これは明治維新がなり新政府が動き出した後にいわゆる政権中枢の人達で

列強諸国を廻って見に行こうと、岩倉使節団が海を渡ります。

その際の居留守役として西郷が日本に残り政務を取り仕切りますが、

その前までは、不平不満が民衆から沸き起こっていたものの、西郷が主導権を握り

政務を行うとそのような不満が減っていったという。

政治とは天に仕えること、そのようなものは清廉であり、かつ官位も名も要らない

という人でなければならないといい、本人もあばら家のような家と身なりも清貧そのもので

あった。それがために周りの人も国の偉い人もあのような質素な暮らしをしているのだから・・。

と理解、納得してくれていたということです。

もし西郷さんが他の志士のように明治維新を皮切りに立身出世をして贅沢な暮らしをしていれば

再び維新のような大きな動きも出ていたかもしれません。

その一つの例が廃藩置県の断行に見られます。

政権中枢の大久保や木戸は廃藩置県を行うことは良いが時期について激論を交わしていました。

その際に西郷がついに口を開きます。

「細かな手続きについて二人が考えているなら、断固実行していくべきで

もし挙兵や戦になれば全て私が引き受ける。安心して進めてください」

そこで木戸も大久保も西郷がそういってくれるならということで廃藩置県断行に至ります。

そして諸藩の挙兵も予測されていましたが、全くおきず(これも西郷が先手をうって、明治維新の主力軍であった

薩摩、長州、土佐の軍を纏め上げ、かつ各地に最新鋭の砲台をつくり各藩ににらみをきかせていました)

明治維新の中でも最も大きな革命的なこととされる廃藩置県も西郷の戦略と胆力によって

平和裏に終わることができたといえます。

命がけと段取り

これが西郷の仕事の特徴ではないかと想います。後年西南戦争でなくなってしまいますが

これはある意味維新という大業を成し遂げて自分の役割の終着地点を考えていたのかも知れない

と考えられる。実際に西郷が指揮をとり進めていけばあのような戦い方はしないだろうと

考えられるからです。

ところで西郷は本人といわれる写真が残っておらず、世間で知られる西郷像は親族に聞いて書いた

イメージの絵なのですね。

近年これが西郷では言われる写真の一部を紹介したいと想います。

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右側が西郷といわれています。左が小松帯刀、中央が大久保利通

 

もうすこしアップしてみます。

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これが今一番本にんんに近いといわれている写真です。

優しそうでもあり迫力がありそうな感じですね。

最後に西郷の座右の銘を紹介して終わろうと思います。

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天を敬い人を愛す。

偉人の中の偉人といえる西郷隆盛でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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石川博信

石川博信

2009年ジーレックスジャパン株式会社創業。 日本の文化や歴史好き。小学校時代は通信簿で「オール1」をとったものの、家族や仲間、そして本の力で何とか社会人まで登り詰める。住宅メーカー(東証一部上場企業)出身で工務店支援事業を皮切りに、電子書籍事業などメディア事業も手掛けている。
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