偉人の仕事術 カゴメ創業者 蟹江一太郎
公開日:
:
最終更新日:2017/10/19
偉人伝 ものの見方
トマトジュースで有名なカゴメ創業者 蟹江一太郎 誰もやっていなことをやれ!
トマトジュースといったらカゴメという位有名ですね。私もトマトジュースは大好きで良く頂きますが
やはりどんな企業でも最初から大きい会社はなく、苦心した末に成功されたりしている。
カゴメのトマトジュースも最初から出来ていたわけではありません。
ここにいたるまでの道のりは順風というよりむしろ逆風のなかで、
「気づき・トコトン実行やりきり型精神」
で事業が発展していきました。
蟹江一太郎は愛知県知多郡に生まれた農家の方で生家は佐野家であったが、貧しく母を早くなくしたことも
あり、小学校を卒業すると、働きにでるようになった。勤めたのは鉄道敷設工事であったが
その働きぶりの良さに、蟹江家の当主であった甚之助の目にとまり、19才のときに蟹江家の
養子になった。この当主の甚之助は一太郎にとって目を開かせてくれた恩人の一人にもなった。
そして養子となり蟹江一太郎となったが、養子にいった蟹江家は農家といっても養蚕や
みかん栽培も手掛ける大きい農家だった。
影響を与えた養父甚之助と軍隊の上官西山中尉
甚之助はことあるごとに殖産開発の大切さを説いていた。
「ここは米麦はもちろん、野菜もよくとれる本当に恵まれた土地だが、日進月歩の今、それに安穏とは
してられない。土地は限られた広さしかない。その中で如何に頑張っても年に何回も麦や米が取れるわけでは
ない。これからは農業改善をしていかないといけない」
また細井平洲の話もよくしたという。細井平洲は江戸時代の儒学者で米沢や尾張藩の建て直しに貢献した人で
知多郡の出身の人でもあった。知多で色々な殖産開発を行い、甘藷(かんしょ)や製糖を導入したのも
彼であった。
20才になると徴兵されて軍隊に行くがこのときの上官が西山中尉であった。
西山は一太郎に
「お前はそろそろ除隊だな、家に帰ればいずれ野菜をつくるだろうが今までと同じ米や麦をつくっていたのでは
駄目だ。もっと野菜をつくって現金収入を得なければな・・。それも何処でもつくっている野菜、例えば大根や白菜
や芋では仕方ない誰も作っていない西洋野菜がいい。日本はどんどん洋式に食生活も変わってくるからな、、。
西洋野菜は誰も作っていないということがいいということには、実は軍隊でも西洋野菜を取り入れようと
いう話があるのだ。そうすればドンドン普及すると思うがまだ創っている農家はいない。
例えばトマトなんかいいと思うよ」
それを聞いた一太郎は早速西洋野菜の種を色々取り揃えてみた。
トマト、キャベツ、レタス、ホウレンソウ、タマネギ・・・これが西洋野菜との出会いであった。
実際に植えてみたら上手く出来、そして売れていったが、一つだけ売れないものがあった。
それがトマトであった。
トマトをどうしたら売れるか?トマト王蟹江一太郎のトマトへの執着はここから始まる。
しかし2年経っても3年経ってもトマトだけは一向に売れない。家族の意見も青臭くすっぱいという意見だった。
そこでふと、生そのままでは売れないなら加工してみたらどうか?というアイデアを思いつく。
西洋ではどうか調べるとソースにしているということが分かり早速アメリカからトマトソースを輸入した。
最初は失敗の連続で、簡単にできると思い、トマトをごった煮にしてみても上手くいかず、色々方法を
試行錯誤で変えて見たが、煮ている鍋に問題があるのではないか?ということに気づき、鉄鍋、どう鍋も試したが
最後にはホーロー鍋でやってみると見事に出来た。そしてトマトは美味しくないといっていた方々も
これなら食べれるといわれ、更に名古屋の食品卸の梅沢岩吉商店が一太郎を応援してくれて
出来た商品はこちらで一手に販売を手伝うといってくれて商品は売れ始めた。
そして桑畑を一部加工工場にして量産体制に入っていった。
一太郎自身も、東京や大阪へトマトソースを山ほど抱えて下駄履きで飛び込み売り込みをしていった
努力も実っていったが、人気ができ売れ始めたが好事魔多し。
このときはまだ、半農半工という形だった。
売れ始めたトマトソースだが、他の農家もトマトを栽培し始めて商品自体がだぶつき始めた。
それまで大々的に契約栽培農家を増やしていったことが裏目に出始めたのである。
この事態に一太郎は栽培農家や加工業者に自ら共同事業にしようと呼びかけて
カゴメの前身であるトマト製造合資会社を設立して自ら社長に治まった。
会社のロゴマークは日本陸軍の五芒星をあしらったものにしようとしたが、政府より許可がおりす仕方なく六芒星をあしらった
ロゴをつくったが、社員から「かごの目」みたいですね。といわれそのままカゴメ印のカゴメという社名になっていった(これは後年ですが)
一太郎がトマト加工を皮切りに様々な事業をしていく姿をみた養父甚之助は
「色々なものに手を出すのは程ほどにしておけ」と進歩的だった養父でさえ、相当進歩的な様子に見えたのだろう。
更に、トマト加工品が売れてくると当時では珍しい近代的な工場をつくるが、この際には養子に入った蟹江家の土地建物など財産
をずべて担保にいれて銀行からお金を借りていったが、これ以降はギャンブル的な投資はしなかったという。
むしろ、堅実に、ゆっくりしっかり事業は進めばいい、としていたそうです。
一太郎後年、養父と上官の話を素直に聞いたことが良かったということをいたそうで
その中で特に上官の
「現金収入を得ること」「誰も手をつけていないこと」
ということが事業を進めるに当り大事だと振りかえっている。
また、気づきをえたら直ぐに実行するということ、トコトンやりぬくということ。
これがカゴメの社風にもなった。
そして時代の流れを気づくということである。
どんなに良い事業でも時流に乗らなければ成功はしない、更に厳しい時代を乗り越える
ために取引先と共に立ち上げた会社には、自分だけでなくある意味「同志」ともに
歩んでいくことが出来たことも成功の要因だったとしている。
気づきととことん実行のカゴメ創業者蟹江一太郎でした。
石川博信
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